03




   『ハァ…ハァ…、…ハァ…』

   空から降り捧ぐ、冷たい雨。
   その雨を吸い、身に纏った黒いボロ布が肌に張り付き、体から体温を奪う。
   なのに体は熱く…鉛のように重い。
   …そんな体を引きずるように、彼は暗い路地裏を1歩1歩歩いていた。

   『っ、ゲホッ!ゲホ…!』

   咳をする度、ガンガンと頭に響く。
   それが気持ち悪くて、今度は吐いた。
   だが、すでに胃の中は空っぽで、出たのは胃液だけ。
   …そう言えば、最後に物を食べたのはいつだっただろう…。
   思えば、食に対する欲がなかった為、普段からそんなに…ましてや満腹になるまで食べた事などなく、食べてもせいぜい木の実を1つ2つ口にする程度。
   そしてそれさえしていない今、体の衰弱は自分が考えているよりも遥かに酷かった。

   『ゲホッ…ゴホ…』

   壁にもたれかかり、そのままズルズルとしゃがみ込む。
   もはや立つ力も…気力もなかった。

   『…「最強」と言われる私が…情けない』

   皮肉めいた言葉を吐き、乾いた笑みを浮かべる。
   だが次の瞬間、バシャリと音をたて、冷たい水たまりの中に崩れるように倒れこんだ。
   氷のように冷たい雨が容赦なく降り注ぎ、意識が薄れていく中、…ふと『死』と言う言葉が頭を過る。

   『(…私は、このまま死ぬのか…。私が誰だか、分からぬ、ま…ま……―――)』

   そこで、彼は意識を手放した。
















   「おめでとう!3等大当たりだよ!」
   「…え?」

   カランカランと鐘を鳴らしながらニコニコと笑いかけてくる割腹のいい中年の男に、ギナは一瞬何が起こったのか分からずきょとんとする。

   「ほ…本当ですか?」
   「あぁ。3等はハイパーボール5個だよ」

   そう言って男は茶色い紙袋をギナに手渡す。
   中を除くと、小さくなったハイパーボールが5個、確かに紙袋の中に入っていた。
   買い物先で貰った、商店街の福引券。
   まさかそれが当たるとは思ってなかったギナは嬉しそうに笑った。

   「わぁ…!。ありがとうございます!」
   「お!、お嬢ちゃん可愛いね。…これ、オマケしちゃうよ」

   そう言って男は5等で貰えるオレンの実を1つ、ギナが持っていた紙袋の中へと入れる。

   「え?、あの…」
   「お礼ならいいって。でも内緒だよ」
   「いえ、あの…ぼ「すいませーん!」 
   「はいよー!。すまないねお譲ちゃん、別のお客が呼んでるから」
   「あ、あの…!」

   去っていく男に片手を伸ばすが届くはずもなく…。

   「……僕、男なんだけどな…」

   少し離れた所で別のお客と話し込んでいる男の姿を見ながら、ギナはぽつりと呟いた。






   「僕…そんなに女の人に見えるかなぁ…」

   帰り道、夕飯の材料とハイパーボール、そしてオレンの実が入った紙袋を入れたエコバックを片手に、傘を差しながらギナは首を傾げる。

   「小さい頃から女の子に間違えられてたけど…。ん〜…」

   そう言ってギナは1人、唸りながら考え込む。
   …だが、その姿はとても可愛らしく、ぶっちゃけ、女にしか見えない。
   そして、そんなギナの姿を通りを歩く人々(主に男性)がチラチラと見ている事など、当の本人は知る余地もない。
   ―――と、傘に当たる雨音が少し強さを増した事に気づき、ギナは鉛色の空を見上げた。

   「わ!雨、酷くなってきた!?」

   肉眼でもすぐ分かるほど大粒になってきた雨を見て、ギナは慌てて歩くスピードを上げた。

   「さすがミー君の天気予報。百発百中だね」

   ちらりと辺りを見ればギナ同様、足を速める者や急に強まってきた雨に慌てて走っていく者など、いろんな人が目に映る。

   「…僕も早く帰らないと。兄さんやミー君が心配しちゃう」

   肩から下げたエコバックを担ぎ直しながらそう言うと、ギナは走り出した。



   ―――刹那、

   『助けて』
   「え…?」

   可愛らしい少女の声に、ギナの足が止まる。

   「誰?」

   キョロキョロと辺りを見回すが、酷くなってきた雨のせいで回りにはギナ以外誰もいない。

   『助けて。お願い、助けて!』
   「誰?、誰なの?。何処にいるの?」
   『こっち!』

   はっきりと聞こえた少女の声の方を見れば、建物との間に出来た暗く不気味な路地裏の入口がぽっかりと口を開けていた。

   「…こっちにいるの?」
   『うん。こっちだよ!』
   「あ、待って!」

   路地裏に吸い込まれるように消えていった少女の声を追いかけて、ギナは慌てて走り出す。



   明るく人通りが多い商店街とは打って変わり、暗くて狭い路地裏を少女の声だけを頼りに、ひたすらギナは走り続ける。

   「待って!君は一体誰なの?」
   『そんな事より早く!』
   「ま、待ってったら…!」
   『早く、こっちだよ!』

   右へ、左へ。
   左へ、右へ。
   少女の声に導かれるままに、ギナはひたすら雨が降る路地裏を傘を片手に走り抜けていく。

   「ちょ…待っ…」

   息が苦しい。
   ゼェゼェと、上がってしまった呼吸を整えようとギナは足を止め膝に手をつく。
   そんなギナに、少女は言った。

   『もう目の前だから!。早く、ギナ!』
   「…え?」

   ばっと顔を上げると、路地裏の角から桜色の細長い尻尾が、一瞬見えた気がした。

   「…君、なんで僕の名前を知ってるの?」

   パシャり、パシャリと水音をたてながら、ギナは路地裏の角へとゆっくり進む。
   …だが、少女の声は答えない。

   「ねぇ、……君は一体…」

   角を曲がる。
   だが、そこに声の主で、先ほど見えた桜色の尻尾の持ち主は何処にもいなかった。

   「何処に行っちゃったの?。君は一体誰なの?」

   キョロキョロと辺りを見回し、声の主を探す。
   ―――と、視線の隅に映った『あるもの』に気づき…ギナは固まった。



   自分の数メートル先で黒い布を纏い、壁にもたれかかるようにして倒れているポケモン。















   その黒い布の間から見える顔や腕は、人のものでも……自分が知っている全てのポケモンのものとも違う、『異形』だった。






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